劣等感から解放されたい。その落とし穴。
たくさん学んできた。わかっている。それなのに、変われない。
なんで今日もうまくいかないんだろう。
毎日早起きして、休みも返上して、たくさん勉強してきたし、行動もしてきた。
それなのにうまくいかない。
たとえ少し出来るようになっても、まだまだ、全然、もっともっと。
そう感じて頑張ってきた。
誰かが成功しているのを見るとモヤモヤする。
そんな人たちと比べて私は。。。。と劣等感を感じて酷く落ち込む。
劣等感を克服するには、結果を出すだけじゃダメだ。
自己肯定感を上げなきゃ。
自分は自分のままでいい。
自分には価値がある。
自分を肯定しましょう。
そう思っていなのに、何度も何度も、おまじないのように唱えても
何も変わらず苦しさや解決しないもどかしさだけが増す。
「じゃあ、どうすればいいの?」
そう感じてたくさん調べ、この記事に辿りついた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
劣等感とは、愛着の問題という視点から見ていくと、どうして劣等感を克服できないのかが見えてきます。

比べてしまうのはどうして?
「劣等感」という言葉は文字通り
誰かと、何かを比べて、自分は劣っていると感じるわけですよね。
出来る誰かと比べて、自分はまだまだと思い込んで頑張る。
でも頑張っても頑張ってもまだまだと感じて落ち込み、また頑張る。
そんな無限ループを繰り返して苦しい。
もしくは、自分よりも出来ない誰かと比べて、「自分はまだましだ。」とホッと安堵を浮かべたり。
でもそのホッとする安心感は、一瞬感じることができたとしても、また不安に襲われる。
どちらにしても、不安で苦しいのは、根本的な問題が解決されていないからです。
では、その根本的な問題とは何でしょうか?
それを紐解くのに、もう一つの着眼点が必要となります。
それが、実は比べている対象が他人だけとは限らないということです。
比べているのは他人だけでない。理想の自分VS現実の自分
人とは比べていないけど、ずっと劣等感で悩んでいる。
そういう悩みも実は多いです。
そういう悩みをもつ人は、過去の自分でもなく、理想の自分と比べているからかもしれません。
なりたい自分、理想の自分を持っている人って多いと思います。
過去の私自身も、他人とも比較していましたが、それ以上に理想の自分と現実の自分とのギャップに悩んでいました。
理想の自分の例としては、
・なんでもできる完璧な人
・嫌なことでもさらっとかわせて、人間関係に困らない
・頭の回転が良く、機転が利く、一を聞けば十を知る
別に理想の自分を持つことは悪いことではないのです。
そこに向かって努力をすることも大切です。
成りたい自分、やりたいことをやる、幸せな人生を送る。
誰もが持っている欲求です。
では、当時の私にとって何が問題だったのでしょうか?
それは、この理想の自分というのが、等身大の自分の延長にあるものではなく、別の理由(動機)があり、明後日の方向に向いていたということです。
どういうこと?って思いますよね。
なぜそこまで理想の自分になりたかったのか。
なれなかったら何が困ると思っていたのか。
私の場合は、ただ理想を目指していたわけではありませんでした。
理想の自分にならなければ受け入れてもらえない。
理想の自分にならなければ価値がない。
そんな思い込みが私の中に隠れていたのです。

なぜ自己肯定感が効かないのか
では、なぜ「理想の自分にならなければ価値がない」と思っていたのでしょうか。
その背景には、「今の自分では受け入れてもらえない」という感覚が隠れていることがあります。
そこを掘り下げていくと、「自分には人としての価値がない」という感覚(無価値観)に行きつきます。
ここで言う価値とは、能力や成果、人より優れていることではありません。
どんな状態の自分であっても存在していていいという、存在そのものの価値のことです。
こんな自分では価値がない。
何か出来ないと。
人の役に立って必要とされないと。
つまり、私という存在=無価値な存在。
こんな風に無意識で思い込んでいるとすれば、
それを感じたくなくて頑張ろうとするので、劣等感を嫌だけれども持ち続けることになります。
無価値だと感じるのは、価値がないからではありません。
そのままの自分では受け入れてもらえないと感じてきたからです。
だからこそ、人より出来るようになれば受け入れてもらえる。
理想の自分になれれば認めてもらえる。
そう信じて頑張ろうとするのです。
これが劣等感を克服しようとすればするほど、劣等感が増していくわけです。
では、無価値な存在と思わないようにすれば解決なのでは?
「自己肯定感を上げないと。」そう思って、おまじないのように本音では思ってもいないことを唱えようとしても違和感を感じるのも当然です。
自己肯定感を上げようとしてもうまくいかないのは、本当に求めているものが別のところにあるからです。

本当に欲しいのは、「私は価値がある」と言い聞かせることではなく、何ができるかに関係なく、見てもらえている感覚や、繋がれている感覚なのではないでしょうか。
だから言葉で自分を肯定しようとしても、どこか空回りしてしまうと思うのです。
本当に見ていきたいのは、自分に価値があるかどうかではありません。
なぜそこまで価値を証明しなければならなかったのか、です。
もし自分には価値がないとしたら、その時あなたは何を感じるのでしょうか?
理想の自分を目指していた本当の理由
理想の自分にならなければ価値がない。
そう感じる背景には、幼い頃の人間関係が影響していることがあります。
・親の期待に応えようとしていた。
・兄弟姉妹と比較されていた。
・良い子でいる時だけ認められた。
そんな経験が積み重なると、
「そのままの自分では受け入れてもらえない」という感覚を持つことがあります。
私の場合、それが兄でした。
兄は親に大事にされていた、かわいがられていた。
その光景を幼い私はずっと目にして、「兄」のようにならなければ、「見てもらえない」「関心を持ってもらえない」と感じていたのでした。
私が欲しかったのは、兄のようになることではありませんでした。
本当に欲しかったのは、親からの関心と繋がりでした。
なんとなく感じていた疎外感や居場所の無さ。
これが、私が親が望むような子ではないからだと受け取り、劣等感となり、理想の自分は親が望む理想のいい子になっていたということです。
私の場合は兄でしたが、人によっては親の期待だったり、周囲と比較された経験だったりします。
共通しているのは、「そのままの自分では見てもらえない」「関心を持ってもらえない」と感じていたことです。
そして、その感覚の奥には「受け入れてもらえない」という不安があります。だから劣等感は自己否定の問題だけでなく、実は愛着の問題が深く影響しています。
劣等感の奥にあった欠乏感
劣等感を埋めようとすること自体が、自分の中にある欠乏感を埋めようとする行為でした。
それを他人からの承認や関心という形で埋めようとしていたのだから苦しくなるのです。
でもその時の私には、心理を全く学んでいなかったので、そんなこととは知らず、一生懸命外側の条件で満たそうとしていたということです。
だからいくらやってもやっても。自分はダメだと思うし、結果も出せない。
そこで感じる、結果が出ない惨めさや、やってもやっても満たされない虚しさ。
そこから逃げ出そうとする自分に許せなさを感じたり、
でも逃げる自分に情けなさを感じながらも大嫌いになったりと。
感じたくない感覚をたくさん感じていたのです。
一生懸命自分を偽って、振り向きもしない相手を振り向かせようと努力していたようなものだったなと、今では思います。
それぐらい親に、
・振り向いて欲しかった。
・見て欲しかった。
・関心を持って欲しかった。
単純にお話をしたかったし、聞いて欲しかった。
ただそれだけのことです。

もらえてないからこそ、いつかもらえる。
そう信じて、諦めきれずに生きてきたのでした。
解決に向けて
劣等感で苦しんでいるなら、劣等感をなくそうとする前に、
「誰に認めてほしかったのか」
「何を失うことが怖いのか」
「どこに居場所のなさを感じているのか」
これらに目を向けて自分に聞いてみるといいです。
その答えの先には、ずっと満たされなかった思いや、置き去りになっていた気持ちが隠れているかもしれません。誰にも関心をもってもらえなかったその気持ちに、先ずは自分が関心をもつことから始めてみませんか?
劣等感をなくそうとすることよりも、その奥にある居場所のなさや孤独感に目を向けることが、遠回りに見えて根本的な解決につながると、私は思います。
劣等感をなくそうとしても苦しい。
自己肯定感を上げようとしてもうまくいかない。
そんな時、何を見落としているのか。
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