恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない

こんにちは。

心理セラピストの杉原京子です。

もう3月に入りましたね。今年の天気は本当に変で、暖かいかと思えば急に寒くなったりして、体調管理がいつにもなく難しいですね。また、コロナウイルスの感染が広まっているようですので、自分にできる防衛策を行いながら、十分な睡眠・バランスの良い食事・適度な運動・人との適切なコミュニケーションで、体調を整えて免疫力も上げていこうと思います。みなさんは、どんな風に体調を整えて健康管理していますか?くれぐれも体調を崩さないように、気をつけてくださいね。

いち早くコロナウイルスの感染拡大が終息するのを願うばかりです。

 

さてさて、今日の記事のテーマは「恥ずかしい」感覚について書きますね。

人は誰しも「恥ずかしい」という感覚を持ってるし、感じることもあります。ただ、この感覚が強すぎて何か行動が制限されたり、この感覚に囚われすぎて困ってたりしてませんか? 特に日本ではこの感覚に囚われすぎている人が多いのではないかと思います。困った感覚だけれども、何かしらのメリットもあります。そのメリットについても書いていきます。

 

「恥ずかしい」という感覚を持っていて、こんな事に困っていませんか?

  • 自分の気持ち考え浮かんできても、そんなことを思っている自分は恥ずかしい人間だと思ってしまい、その気持ちや考えを打ち消そうとしてしまう
  • 自分の欲求を知られるのが恥ずかしい欲求をもつこと自体が恥ずかしくて持てなくなる
  • 自分の感情を表現したら、バカにして笑われそうで恥ずかしくなって消えてしまいたくなる
  • 些細な失敗でも恥ずかしくなって穴があったら入りたくなってその場から消えたくなる

どれも、よくある話ですよね。因みに、私は全部持っていました。だから、日常生活が大変でったのですが、特に買い物が大変でした。こんな物を買うのかって人に知られるのが、とてもとても恥ずかしかく思っていたので、レジに行くのが苦痛だったんですね。だから、ドキドキしながらレジに並んでたりしてました。だったら通販があるじゃないかと思うかもしれないですが、通販はデータが残るので、それはそれで恥ずかしさがあったんです。

では、「恥ずかしい」感覚を感じないようになったらこの問題は解決!って思うかもしれませんが、そうではないんです。そこにある真の問題とは…?

 

「恥ずかしい」感覚の下にあるコアの問題とは?

「恥ずかしい」を感じないようにするのは?

周りからの冷たい視線失笑されてバカにされるような感覚劣等感を感じる度に、こんな感情や欲求を持つ私は最低だダメな人間だ。なんて恥ずかしい人間なんだと自分を責めたりしてしまう。そうやって他人の目を気にして他人軸になってる人ほど、自己を否定する感覚を強く持っています

自己否定と結びついている感覚とは?

こんなダメな私を感じていると、とても恥ずかしくて居たたまれず、穴があったら入りたくなる、消えたくなる。要はその場には居られなくなるような感覚があります。つまり、恥ずかしい感覚を感じてると、居場所がなくなってしまうような恐怖を感じてしまうです。この感覚がさらに強化されていくと、私の場合、「自分は恥ずかしい人間」だと、自分の存在そのものを恥ずかしいと思い、「存在してはいけないんじゃないか」と思っていました。本当に強い自己否定存在の否定ですね。

 

その背景にあるものは……

恥ずかしい感覚を使って強く支配されて育ってきた

小さい頃から、少しでも感情や欲求を出すとそんな事をしてたら恥ずかしいよ。周りの人から笑われるよ。」そう言って感情や欲求を出させないように親が強く支配します。そうやって育てられると、「感情や欲求を出すこと」は「恥ずかしいこと」として結びついてしまいます。もしくは、「そんな事をしてたら、お母さんが、お父さんが周りから笑われて恥ずかしい思いをするからやめてね。」そう言って、どんどん感情や欲求を出さないように支配していきます。

では、なぜ恥ずかしい感覚を強く利用して感情や欲求を出さないようにするのか? 感情や欲求を出されたら何が困るのでしょうか?

前回の記事でも書いた通り、親自身も小さい頃から感情や欲求を出さないように恥という感覚を使って支配されて育てられている場合が多いからです。「自分もこんなに我慢しているのに、なぜ、子どもだけが我慢せずに感情や欲求をストレートに出すの?そう言って怒りが沸き上がってしまいます。その怒りをぶつけることもあればその怒りも感じたくなくて同じように抑え込む為に支配(コントロール)をしているのです。また、子どもが感情をストレートに表現したり、欲求を出すことは、自分のしつけがなっていない他者(周りの人)からの評価を恐れるあまりお人形のように何も物言わず親にとっての都合のいい子にする為に支配する場合もあります。「そんなことをしたら、お父さんもお母さんも恥ずかしいから止めなさい。ほら、あの子を見てみなさい。あんな風に大きな声で泣いてたら恥ずかしいわよ。周りの人は笑ってるでしょ」そう言って自分達の都合のいい子にしようと支配を繰り返します。

支配されてきた子どもは、自分の感情や欲求をだすことは恥ずかしいことと思ってしまうので、段々と感情や欲求をだすこと(表現すること)を諦め、抑圧し、感じないようにします。そうしてるうちに、自分の感情や欲求が何なのか分からなくなってしまいます。でも、そうしていたら何も感じなくて済むんですもし恥ずかしさを感じてしまったら、その場には居られない、居場所がなくなるような感覚・恐怖を感じてしまうから、感じないようにするんですね。誰だって怖さは感じたくないですよね。

この感覚を持ち続けていたら、どうなるの?

恥ずかしさを感じる出来事なんて、生きてる限りは何度も遭遇し感じるものだと私は思ってます。なので、何度も恥ずかしさを感じる出来事が起こる度に恐怖を感じてしまうと、体と脳が完全にフリーズしてしまいます。そして恐怖の感覚を感じたくないので、行動を起こしたくても何も起こせなくなってしまいます。私の場合だと買い物・失敗・人とのコミュニケーション等日常生活ほぼそうでした。存在自体が恥ずかしいと思っているのですから。それでは、とても生きづらくもなります。感情を切って生きることはできますが、特定の感情だけを切ることなど出来ませんので、全ての感情を切って(感じずに)生きることになります。それで生きる喜びなんて感じられますか?

単純に恥ずかしさを感じればいい

何度も恥ずかしいような出来事が起きても、単純に恥ずかしさを感じればいいだけと私は思います。そこに居場所がなくなってしまう恐怖がくっついているから感じようとしなくなってしまうのです。

私はドジな性格なので、成功よりも失敗の数の方が多い人生です。だから、以前は失敗をする度に恥ずかしくなって消えたくなったりしていたので、生きること・行動を起こすことに消極的になっていました。しかし、この恥ずかしい感覚と向き合うことで、「恥ずかしい」感覚を今でもたくさん失敗するので感じますが、消えたくなくなる程の感覚は一緒に感じることがなくなりました。単純に顔を赤らめて恥ずかしがるだけです。だから以前は、なぜか非常にトイレットペーパーを買うのが恥ずかしかったのですが、今では平気で買えるようになってます。

こうやって、行動をひとつづつ広げていけば、自分の世界も広がっていき、感覚も感じられるので、生きる喜びも感じられることになり、幸せ感も増えると私は思います。

 

私が「恥ずかしさ」とも向き合った講座が大阪で3月から始まりますよ。理論だけでなく体感で心理を学べるし、何よりも納得しまくります。そして、何よりトークが面白いですよ!

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