こんにちは。
心理セラピストの杉原京子です。

今年は暖冬だったので、冬が短く感じられますね。2月に1度雪が降ったものの、暖かい日が本当に多かったですね。桜の開花も今年は早そうですね。コロナウイルスの感染拡大防止のため、家に籠ることが多くなってますので、少しでも外に出て桜を見ることで気分転換できればいいなと思います。

さてさて話は変わりますが、人は生きている限り必ず何かしら問題が起こります。
人と関わっている時など特にそうですね。
どんなに親しくても、仲良くても、問題は起きます。
そんな時、あなたは話し合って問題を解決できますか?
今回のブログは、話し合いが出来ない心理について書きます。話し合うことであなたが問題を解決できるヒントになればと思います。

 

猫会議

家庭や職場や友人間で問題が起こった時、あなたはどんな風に話し合って解決してますか?

・文句を言いながらも、嫌々何かしらの損な役割を引き受ける
・誰か一人悪者を作って、責任も役割も全部その人に押しつけて自分は逃げる
・頭が真っ白になり、どうしていいか分からなくなって固まったままになり、誰かがやってくれるのを待つ
・あなたが悪いとお互いに罵り合いだけをして結論を出さない(解決しようとしない)
・忙しいと言って問題から逃げる

これでは問題は解決しませんよね?

それどころか話し合いすらできてない状態です。

「話し合いをして問題を解決する」とは、以下のプロセスを踏んでいく事だと私は思います。

  • 自分の中で何が起こっているのかを見る
  • 事実が何かを見る
  • 問題が一体何か見極める
  • 自分はどうしたいのかを明確にして伝える
  • 相手はどうしたいのか明確に聞く
  • お互いの意見を聞いて解決した状態に一番近いのはどこかを探りながらも決めて行動する

問題がわかればどうすることが解決なのかを考え、話し合い、それに向かって実行する。これができれば誰も悩まないと思うのですが、できないから悩んでいるんですよね。
問題が起こった時、本来なら話し合って決めて、行動を起こせばいいだけなんですが、それができれば悩みませんよね?

どうして話し合いができないの?

話し合いができない人たちの内側で何が起こっているのしょうか?今回は話し合いの際に自分の意見を伝えられない人の心理について書きます。

自分の意見・意志を自分の口で伝えられない(意思表示ができない)

文句を言いながらも、それを引き受けて行動してしまう。

本当は嫌だったり困っているのに、断れなかったり、相談できずに一人で抱えこんでしまい、自己完結しようとする。「嫌だ」と言って拒絶せずに相手の欲求を言葉や態度を通して、そのまま自分の本音と一緒に丸呑みする。本音を隠したままなので納得していない。にも関わらず、不満を抱えながらも自分がやる。嫌ならやらなければいいのだけれども、それをやってしまうには理由があります。

見捨てられ不安と孤独になる恐怖

もし断って相手を不快にさせて嫌われたら、自分は「見捨てられてひとりぼっちになってしまうんじゃないか」という孤独になる恐怖を感じてしまうからです。だから、言いたいことがあってもひたすらその言葉を飲み込んで我慢してしまいます。ひとりぼっちになってしまう恐怖を感じるくらいなら「我慢する方がマシ」だと思っているから意思表示をしないんです。

相手から攻撃されるような恐怖

もしも自分の意見を言ったなら、相手が真っ向から否定して攻撃されるような感覚を感じてしまうので、何も言わないでいることで、その場限りの見せかけの平和・安心・安全が得られる感覚がある。

罪悪感を感じてしまう

「自分がこんな事を言うなんて恐れ多い、迷惑がかかってしまう。申し訳ない。」そう思うことによって、自分の意志を表現しそうになると罪悪感を湧かせて表現しようとしないでいる。酷い場合だと自分の中で何か沸き上がってきそうになるだけでも罪悪感が湧いてくる。もしくは、反対意見や断ることに罪悪感を感じてしまう。相手の期待に応えて当然だという感覚を持っていると、自分を押し殺して必死で相手の期待に応えようとする。相手の「引き受けろ」という期待に応えないと居場所がなくなるような感覚を感じてしまう。

これらの感覚を感じたくなくて、自分の意見・意思や感情・感覚といった自分の中から沸いてくるもの全てをぐっと飲み込みます。自分の意見や意思・感情や感覚をぐっと飲み込むということは、自分を押し殺すことです。では、なぜそんなことまでして自分を押し殺すのでしょうか?それは相手に支配してもらうためです。「えっ」と思うかもしれませんが、相手の支配下に入っていれば、傷つかないように自分を守り、少しでも安心が欲しい、嫌々ながらも人と繋がっていられる、孤独を感じずに済むからです。その代わり、自分を全て押し殺すので強大な抑圧と我慢が必要になります。

根っこには愛着の問題が隠れている

相手の支配下に無意識に入る人は、幼少期に親から温もりや愛情を十分に満たされるまでもらえなかったりして、暖かい感覚で人と繋がるための絆を築き損ねていたりします。とても、しつけに厳しく支配的な親に育てられると、物を言う事すら許されない。元々親との繋がりが薄いので、親の支配下にずっといることで親との繋がりを感じることができ居場所が得られていたので嫌々ながらも恐怖を感じずにいられたんですね。また、親兄弟からネグレクトや無視をされていたことで、自分を表現しても拒絶される・受け入れてもらえなかった経験から、とても傷ついています

人は傷つくと、苦痛を感じるだけでなく、無力感や自己否定に囚われて落ち込みます。傷つきたくないから、そのような状況を避けていきるようになると精神科医の岡田尊司さんの著書「回避性愛着障害」の本にも記されています。

その傷は大きな痛みと共に無力感になって鬱になってしまったり、自己否定を抱えて苦しむことになるんですね。だから、言いたい事も言わずに相手の支配下に入り続けることを自分で選んでいるんですね。

このまま相手の支配下に入り続けていると…

痛みや傷つき・恐怖を感じることは少ないけれども、ずっと誰かの顔色を伺いながら、我慢をし続けることになります。年を重ねれば重ねるほどその我慢や抑圧も積み重なり、今あるモヤモヤ・ザワザワ・イライラが日々増え続けていくのをいつまで耐えられるか、想像できますか?我慢の臨界期を超えると怒りが爆発し相手を急に猛攻撃して修復不可能な程に関係を壊してしまい、その事を後悔し続ける。我慢していても爆発して人間関係を壊していたら、結局、孤独になってしまうんですよね。

話し合いで自分の意見や意思を言えるようになるには?

自分の中で、意見や意思を伝えよう・表現しようとするとどんな感覚になっているのか、先ずは知ることです。どんな相手に対してか、どんな時、どんな内容か、自分の中の反応パターンを知ることで、問題が明確化されていきます。そして何より「自分は今相手の支配下に入っていってるんじゃないか?」「入りこうもとしていないか」と客観視することです。そして何よりも大切なのは、「自分は相手とどんな関係性でありたいか」を決めることです。

話し相手と対等な関係が築けていますか?

相手の支配下に入るということは、対等ではないですよね?関係性が上下関係になっています。相手が上で自分が下。これでは対等ではありませんよね?自らがそれを選んでいることに気づき対等な関係で話し合えることが大切なのではないかと私は思います。ここで言う対等とは精神的な関係です。対等でなければ、自分の本音を話したり、自分と相手の話を客観的に聞くことも出来ず、相手を尊重することもできないと思います。それでは、妥協点が分からず、話し合いの着地が見えなくなってしまいます。自分の意見を伝え、相手の意見を聞き、どうすることがお互いにとってより良い方向に解決できるのかを探っていき、どうするのか決めていくのが話し合いだと私は思うからです。それには先ず、相手の意見を聞いて相手を知り、自分の意見を伝えて相手に知ってもらい、相互理解が出来るのが理想の話し合いだと思います。たとえ相互理解が出来なくても、対等であれば、お互いが正直に真正面から話し合うのだから、後々何かあってもお互いに後悔は少なくなると私は思います。

あなたは、対等な関係で話し合いができてますか?

う~ん。難しい。でも、もう我慢の限界に近づいているかも。もしそう思っていたら、根本の理由を知って解決できる講座が5月に大阪で開講しますよ。

 

 

 

 

著者

心理セラピスト 杉原 京子

自分という感覚がよく分からなかったり、生きている実感が薄かったり、 人と関わるのが苦手だったりし、人生に何度も行き詰まりを感じる。 それが自身の愛着に問題があったことをリトリーブサイコセラピーで体感する。そして、それは解決できるということも。今後は、この経験を活かして同じように愛着に問題を抱えることで起きる問題の解決のサポートします。

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