話し合いができない理由② 相手の意見を聞けない

こんにちは

心理セラピストの杉原京子です。

春分の日が過ぎたのでこれからは、1日1日と日が長くなっていくと共に暖かさも増してきてますね。桜も咲き始めましたね。いよいよ春本番という感じですね。
京都ではコロナの影響で外国人観光客は少なくなっているものの、日本人の観光客が逆に増えたような気がします。あちらこちらと有名はお店は大行列になっていました。

これからだんだんと季節が変わり、暖かくなってくる日が増えてきます。私はこの春の暖かさと桜の花びらが醸し出す優しい雰囲気になれる感覚がとても好きです。こういった風情は、日本独特の感覚なんでしょうかね?
あなたは、どの季節が一番好きですか?
先日の京都御苑の桜の写真です。
ここは桜のトンネルになっていまして、とても風情があります。
一部しか咲いていませんでしたが、とてもきれいでしたよ。
さてさて、今日は前回のブログの続きで別のパターンとして話し合いができない理由について、書きます。
何か問題があって解決する為、もしくは何かを決めていく時にするものです。それが出来ない原因の一つに相手の意見を聞き入れたくないという感覚があると話し合いが出来なくなります。そんな時、その人の心の中で起こっていることとは?

相手に負けたような気がする

相手の意見を聞くこと・受け入れる事は、相手に負けたような感覚になる。敗北感を感じると、自分が生きてきた人生がいつも負けの人生で、負け続けている自分はダメな人間(存在)であると思っている。それを感じたくなくて、打ち消したくて、相手の意見を聞き入れずに、自分が正しいのだと自分を正当化させる為に自分の意見を必死になって相手に押し付けようとしているのです。
  • 平行線のままでお互いに引かず、結論が出ない
  • 意見を相容れない
  • 「相手が間違っている」と言って一向に相手の話を聞こうとしない
  • 自分の意見が正しいと言って勝手にキレて押し通す
  • 自分の意見が間違っていた事に気づいても謝れない
  • 雲行きが怪しくなると論点をずらす(論点をすり替える)
  • そもそも話し合いではなく、罵倒し合うだけのただのケンカになってしまってる

 

どうして敗北感を感じてしまうのか? その根っこにあるもの

こういう感覚を持ってる人は、子どもの頃から話し合いをする経験が無く、そもそも親や周りの大人達が話し合いをしている場面も見たことがないと思います。いつも目にしていた光景は両親の話し合いではなく口論や罵倒責任の押し付け合い。「お前が悪い」「あなたが悪い」そう言ってお互いに罵り合う言動。これが日常茶飯事となり、何か問題があれば、こうするのかと子どもは自動的に思ってしまうんですね。そして、親もまた、話し合いを知らずに育っていたとしたらどうでしょう? このやり方が代々受け継がれてしまってしまいます。では、そんな人たちの中で何が起こっているのでしょうか?根っこにあるものを紐解いてみます。

・自己重要感の低さ

話し合いの時、相手は「自分の意見と違う」と言っただけなのに、自分自身を否定されたと受け取ってしまい、普段は自分の中にある劣等感を刺激しないように・感じないように抑圧していたものが刺激されてしまいます。抑圧した劣等感は割れんばかりにめいいっぱい膨らんだ風船を刺激するようなもの。自分の中の劣等感が刺激されると、そのめいいっぱい膨らんだ風船が破裂するように一気に、自分はダメな人間で生きる無価などないという感覚を感じてしまい心が揺さぶられてしまいます

 

・いつも誰かと比較され、勝ち負けの人生を歩んでる

幼少期の頃から、兄弟・姉妹・近所の子・同級生・親戚といった常に誰かと比較されていた人の多くがこの感覚を持っています。「あの子は、あんなに出来るのに。どうしてお前は出来ないんだ!」そんな風に言われていると出来ないダメな自分に強い劣等感を持ってしまいます。「あの子に負けた」「あの子には勝てない」いつも誰かと勝手に勝負をしていていると、勝ち負けに拘る人生を歩んでしまいます。完璧な人間などいません。勝てる時もあれば、負ける時もある。そもそもどうして勝ち負けに拘らないといけないのでしょうか?誰かと比較して勝っていれば、「自分はダメではない」、「生きていてもいい」そんな感覚が得られるんですね。その感覚を得るために必死で勝ち続けようとしなければならなくなるのです。とても苦しくてしんどいと思いませんか?

・自己愛の傷つき

過保護で過干渉な親で、自分の欲求は何でも聞き入れられ家の中では自分は王様・女王様扱いで育てられると自分が一番偉い・自分が一番正しいと思い、自己愛が肥大して天狗になってしまいます。だから、人との関係も自分は常に一番上の立場でいないと気にいらなくなります。もしも下の立場になってしまったら、自分という存在価値の低さが明らかになって認めざるを得なくなってしまう。でも絶対に認めたくない認めてしまったら、激しく傷ついてしまう自己愛の問題を抱えてる人は愛着の問題も抱えているので、痛みにとても弱いです。傷ついた時の痛みを受け留めてもらった経験がないのですから。自分よりも下の人間と思ってる人から自分と違う意見を言われることは、自分を否定し攻撃してきたと見なし、攻撃された=戦いのゴングが頭の中で鳴り、負ける=自分の弱い部分や間違いを認める事となり、傷つき、無価値感を感じる事になってしまうのです。

・条件つきでしか、生きてはいけないという感覚

正しい自分・ずっと失敗しない・誰よりも優秀でいないといけない。そんな条件を満たしていないと生きてはいけない。どんな自分でも生きてていい、ここに居ていいという無条件に存在してもいいという感覚や、無条件の愛を親からを与えてもらえなかったんですね。

この問題の深刻さとは…問題の積み残しの人生を生きる

常に誰かとぶつかり続けます。話し合いが出来ないのですから当たり前ですね。それに口ケンカが常に絶えなくなります。人は生きている限り、何かしらの問題が起こります。人と関わる限りも同様です。その度にケンカをして人間関係を破壊して孤独になっていきます。だから親友と呼べる人もいなくなってしまいます。
問題も解決せずに積み残されていきます。初めは少しでも、問題が起こる度に積み残していくのですから、どんどん問題が増えていくばかりです。問題が増えていくと動きが取れなくなっていきます。また、人の意見を聞き入れないということは、自分の中にある選択肢が狭まってしまいます。選択肢が狭まれば狭まるほど、可能性も狭まり人生も行き詰っていきます。

そんな人生をあなたは歩み続けたいですか?

 

無条件で自分の存在価値を感じられるようになる

どんな自分だって生きてていい。自己重要感を自分の中で育んでいくことが大切です。
自分の弱さを認め、至らないところ間違っているところを認め、素直になる。話し合いに勝ち負けは無いのです。本来の話し合いの目的を明確にし、どうすることが解決なのかを念頭に置いてから話し合う。対立したり、自分の意見をゴリ押ししたり、相手の意見を丸呑みするのではなく、解決に向けた知恵を出し合うことが重要だと私は思います。

 

ディズニーの創始者、ウォルトディズニーはこう言っています。

もし清掃作業員が良いアイデアを持っていれば、私は彼のアイデアを採用する。
私は権威をひけらかしはしない。普通の人たちの意見を大切にする。

人間の関係性に勝ち負けや優劣は関係ないのです。同じ方向性を見つめ、一人一人の意見・アイデアを大切にする。人の意見聞いて、受け入れる、採用する事は負けることではないし、まして無価値な自分を感じることでもないのです。何か問題が起こった時には話し合いをして、どうすることがベストなのかを考え、意見を出しあって、たくさんの選択肢を持つことです。たくさんの選択肢を持つことで可能性が広がり、その中からどれにするか決めて解決していくことが大切だし必要な事だと私は思います。そうやって解決していくことで、その人たちとの信頼関係も増しより強い絆で結ばれる関係性を手に入れることができます。それがかけがえのない財産となり、あなたの人生をより豊かなものにしてくれることと私は思います。

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