映画「Aftersun(アフターサン)」を見て
みなさん
こんにちは。
ここにブログを書くのはとても久しぶりとなりました。
普段はアメブロでブログを書いています。
https://ameblo.jp/ouvrir-cette-porte
ですが、今回はここで書きたいなと思いここに書きました。
みなさんは映画を見ますか?
私は映画を見るのが好きで、コロナ禍前は月に1~2本見ていました。
しかしコロナ禍で映画館に行く事を控えるようになったり、映画自体も撮影が出来ずで新作がない状態でしたので、あまり見ていませんでした。
ですがコロナ禍が明け、行動制限も緩和されて映画館へも行きやすくなり、ここ最近映画の本数もぐっと増えたので、見に行く機会も増えました。
特に7月に入ってから映画の公開本数が一気に増えましたね。
さてさて、今回のブログは最近見た映画で心に響くものがあり言語化しておきたいなと思ったので、こちらのブログで感じた事、思ったことを書きました。
よろしければ、おつきあいください。
今回見た映画は「Aftersun(アフターサン)」という映画です。
少しネタバレがあります。
この映画のタイトル「Aftersun」とは、日焼けした後に塗るローション(保湿)という意味です。
このタイトルがまた映画を見終わった後に映画の内容と深くリンクしているなと感じます。
目次
想像力を掻き立てて感情を揺さぶる映画
11歳になったばかりの女の子ソフィが31歳にもうすぐなる父とひなびたトルコのリゾート地で一緒に過ごした夏休みを、20年後の父と同じ31歳になったソフィがその時のビデオを見ながら振り返るという内容の映画です。
この映画の監督さんはシャーロット・ウェルズさんというイギリス人女性で脚本も書いています。
この映画は彼女の経験に基づいて作られた映画だそうです。
思春期以降は、「お父さんなんて大嫌い!ムカつく!」とずっと反発していたものの、それまではお父さん子で「お母さんよりも、お父さん大好き!」だったので、この映画に興味を持ったのかもしれないです。
そんなにセリフがあるわけでもなく(どちらかというと少ない方だと思います)、派手なシーンがあるわけでもなく、どちらかといえば地味なシーンの方がが多いこの映画。このセリフの少なさが余白を作り想像力を掻き立て、見ている人の感情を揺さぶるのではないかなと思いました。
また、90年代の音楽をうまく駆使し、映画のシーンに取り入れているのも秀逸です。
以前に、「上手な作家とは、読者の想像力を掻き立てることが出来る文章を書く人」とある人がおっしゃってたのを思い出し、まさにそれを映像とセリフで見事に表現されています。
この映画を見ていると気づいたら胸のあたりがジーンときたり、ドーンと重たくなって涙がすーっと流れてました(心理的な用語で説明するならば、投影して感情移入させるのが上手ということです)。
何度も投影を起こし、お父さんに対する気持ちをとろーりと何度も掻き乱されながら涙を流していました。
愛情って何だろう、愛を与えるってどういうことかを考えさせられた映画
父の視点
お父さんも娘が好きだし、娘のことは大切に思っている。離婚して一緒にいることは出来ないが、夏休みを一緒に過ごすことで穴を埋めようとしています。だけど自分の内面の問題を抱えていて自分のことでいっぱいいっぱいなのもよく分かります。
娘と最後の思い出を作る為に、なけなしのお金をはたいてこのリゾート地に来たのを想像させるような場面や背景が読み取れます。
これが父として最後の娘への与えることができる愛情表現だったのではないかと思いました。「最後の」と書いたのは、おそらく父はその後亡くなったのではないかと思うからです。(実は鬱で希死念慮があったのではないかと思います)
親として娘に最後に自分ができることは何かを考え、それがこの夏休みを一緒に過ごすことだったのかなと思います。親として娘への愛情表現の一つとして何かを与えたいという気持ちと共に、何もしてやれない罪悪感からの罪滅ぼしがあったのかもしれないし、またそんな自分に情けなさを感じていたのかもしれないなともと思います(独自の推測ですが。。。)
ここで、
「親の子どもへの愛情って何だろうな」
私自身も考えさせられました。
愛情って何だろう?
それをどう表現するのだろうか?
愛情を与えるって押し付けるわけでもなく、見返りを期待するわけでもない。
だったら、どうすることなのだろうか?
私だったらどうするか、どうしたいのか?
実際に私は親ではないので想像するしかないのですが、もかわいいと思うし大切な存在の姪や甥がいます。親子とは別と言われればそれまでですが、やはり特別で大切な存在ですし愛情があるのも分かります。
ですので、私だったらどうするかな?どうしたいかな?と自問自答して私なりの答えを探っています。
子どもは親の内面を理解出来なくても、何となく知っている、感じ取っている。
娘の視点
主人公ソフィの父カラムは、笑ったりするのですが、どこかいつも淋し気な表情を浮かべています。
父の内面については、何一つ語らないので分からないのですが、11歳のソフィは父のどこか不安定で儚げな雰囲気を感じ取っています。
31歳を迎える父に、11歳のソフィが「11歳の時、どんな31歳になってると思った?」と父に聞きます。なんの返答もないのですがその時の様子が明らかに変なのです。自分の望むような人生を生きておらず、そんな自分に絶望している自己否定が強い父にとっては、この質問はとても酷です。ですが、子どもにはそれが理解できるはずもなくてできいのですが、父の様子がおかしいことは感じとっているので、そんな父を見ると子どもの内面に不安がよぎり、恐怖が湧いてきます。
お父さん壊れるんじゃないかな、お父さんどうにかなっちゃうんじゃないかな。
お父さん壊れていなくなっちゃうんじゃないかな。
そんな風に感じると不安で怖くて居ても立っても居られなくなります。
ソフィは父と2人、プールサイドで横たわって空を見上げている場面でこう言います。
「遊び時間に空を見上げて太陽が見えたらパパも太陽を見てると思える。同じ場所にいないし離ればなれだけどそばにいるのと同じ」
父と母が離婚して大好きな父と離れて暮らさないといけない現実を受け入れながらも 「本当は寂しい、大好きなお父さんと一緒にいたい」という本音を、父を困らせないようにこの言葉で表現しているところにソフィの淋しさを我慢している気持ちや切なさをぐっと感じます。これが彼女の父を思う愛情表現なのかもしれないなと思います。
親も人間。完璧ではない。
先ほども書いたように、子どもに愛情を与えるってどういうことなのか、子育てをしながらも模索しつつ、悩みもがき苦しみながらも自分の中で答えを出していくものではないかと私は思います。親から愛情をもらえてなかったり、歪んだ愛情だけを受け取ってきた人には愛情が分からなかったり、同じように歪んだ愛情を与えることしかできなかったり、愛情を与える事に躊躇いや苦痛を感じたりする人もいます。未成熟なまま大人になって、親になったとしても、そこから子どもと一緒に親として成長していくのが本来の人間の姿なのではないかなと思います。
父と同じ年齢になって初めて気づくこともある
11歳の子どもでは理解できなかった、気づかなかった父の心の内を、父と同じ年齢の31歳になって父と過ごした夏休みをビデオを見ながらあの時のことを振り返ります。
「どんな気持ちであのビデオを見ていたのだろう」
父の心の内は、父にしか分からない。
ですが、父の心の内を知ることはできなくても、こうっだたのかもしれないと想像することはできます。
そうすることで、父を一人の人間として理想化することなくズルさや弱さといった闇の部分も客観的に見る事が出来るようになります。そうすれば自分の中の燻ぶっていた気持ちも言語化しやすくなって消化に繋がっていきます。
人は年齢を経ると共に、色々な経験も重ねていきます。
生きていると色々な問題や困難な事にも遭遇します。その時に悲しみや苦しみ、怒りや恐怖、不安等の感情も一緒に感じます。本来ならそれらの感情を受け止めながら乗り越えていくものです。問題や困難などネガティブな事だけでなく、喜びや楽しみが伴うポジティブな出来事にも遭遇します。これら両方を味わい糧にして生きていくことが心の成長となり人間力を持つ事になるのかなと私は最近思います。
人は経験を経ることで自分の心の内を知り、それが人の心の内を理解できるようになったり、想像することが出来るようになります。それが心からの共感や寄り添いとなると思うのです。
父はこんなことを感じていたのかもしれないと想像を巡らしながら、父への思いを馳せて、父への気持ちを癒していったのではないかなと私は思いました。
映画のタイトルの通り、日焼けしてヒリヒリした肌に優しく保湿オイルを塗って傷を癒すように、心にも保湿オイルを塗って心の傷を癒していったのではないかなと思います。
また5年後、10年後に同じビデオを見たとしても、これまでの経た経験が積み上がり、人生の見方、捉え方が変わってくるので、感じ方も変わってくるのではないかなとも思います。
まだ上映している劇場もあるようですので、興味があればぜひ見てくださいね。
https://happinet-phantom.com/aftersun/index.html
それではまた~😊