何気ない癖から読み解く「小さい文字」を書いていた理由

こんにちは。
心理セラピストの杉原京子です。

もし、そんな自分を責めているとしたら、まず知っておいてほしいことがあります。
それは、あなたの意志が弱いわけでも、性格に問題があるわけでもないということです。
その行動は、かつてのあなたが傷つかずに生き延びるために、必死で身につけた方法でした。

そして今もなお、その生存戦略が無意識の中で働き続けているだけなのです。
人の行動は、思考だけでコントロールできるものではありません。
それには、人間の意識の仕組みが深く関係しています。

意識の「3%対97%」という仕組み

私たちの意識は、大きく二つに分けて考えられています。

  • 顕在意識(思考):言葉や理屈、判断、計画を担う意識。全体の約3〜5%。
  • 潜在意識(感情・感覚):本能、記憶、感情、身体反応を司る無意識の領域。全体の約95〜97%。

私たちが「変わろう」「やめよう」と考えるとき、その多くは顕在意識での決断です。
しかし、もし潜在意識が「それは危険だ」「やめておいた方がいい」と判断すれば、身体や感情は強いブレーキをかけます。
つまり、頭でアクセルを踏んでも、心がブレーキを踏めば、行動は変わらないのです。

では、なぜ潜在意識は、そこまで頑なにブレーキをかけるのでしょうか。

潜在意識に刻まれた「生き残るための戦略」

その答えは、とてもシンプルです。
そうしなければ、生きていけなかったから。

特に幼少期、子どもにとって家庭は世界のすべてです。
親との関係は、安心や安全、居場所そのものを意味します。

その環境の中で、愛されるために、怒られないために、見捨てられないために──
あなたは無意識のうちに「こう振る舞えば大丈夫」というルールを作り上げてきました。

それが、大人になった今では
「理由の分からない癖」
「説明できない息苦しさ」
「繰り返してしまう行動パターン」
として表に現れているのです。

リトリーブサイコセラピーが、思考ではなく感情や感覚を大切に扱う理由も、ここにあります。
97%を占める潜在意識に刻まれた生存戦略は、感情と感覚を通してしか辿り着けないからです。

ここからは、そんな“心からのサイン”が、日常の中にどのように表れていたのか、私自身の体験をお話しします。

日常の風景:手帳の文字を小さく書く癖

あなたは、手帳やノートに予定を書くとき、どんな文字を書きますか。

私は以前、極端に小さな文字で予定を書き込む癖がありました。
日常生活で特に困ることはありません。
けれど、ひとつだけ不思議な感覚があったのです。

文字を少し大きく書いて、手帳の余白が埋まってくると、
胸がザワザワし、首が締まるような息苦しさを感じる。

「これ以上、予定を入れたくない」
そんな拒否感が、考えるよりも先に身体に表れていました。

予定が埋まることは、本来悪いことではありません。
やりたいことを書いてもいいし、楽しみな予定が増えることもあるはずです。

それでも当時の私にとって、スケジュールが埋まることは
自由を奪われ、義務に縛られることのように感じられていました。

なぜ、ただの手帳の余白に対して、これほど強い息苦しさを感じていたのでしょうか。
思考で考えても分からなかったその理由は、感情と感覚に触れたとき、初めて見えてきました。

息苦しさの正体:家族の中で担っていた「役割」

感覚を掘り下げて見ていくと、幼少期の家族との関係が浮かび上がってきました。

忙しい両親のもとで、普段は放置され、一人で過ごす時間が多かった子ども時代。
両親が関わってくるのは、決まって自分たちの都合がいいときでした。

それは温かな交流ではなく、
指示、命令、からかい、感情のはけ口。

私は、家族が抱える劣等感や無価値感から生じるストレスを受け止める存在になっていました。

子どもにとって、親とのつながりは命綱です。
たとえそれが苦しい形であっても、完全に無視されるよりは、まだ耐えられました。
そこには、「ここにいてもいい」「家に居てもいい」という、
かろうじての居場所をもらえている感覚もあったのです。

そうして無意識のうちに引き受けたのが、
「家族の感情のゴミ箱」という役割でした。

愚痴を聞く。
イライラを受け止める。
からかわれて、相手をすっきりさせる。

怖くても、傷ついても、その役割を果たしているときだけ、
私は家族の一員でいられたのです。

手帳の「余白」が意味していたもの

ここで、手帳の余白と家族の中での役割がつながります。
私にとって余白とは、単なる空間ではありませんでした。

それは、
「いつでも感情のゴミを受け入れられるように空けておく場所」だったのです。

余白には、二つの意味がありました。

  1. ゴミ箱として機能し続けるためのスペース
    いつでも家族の感情を受け止められるよう、空けておかなければならない場所。
  2. 一時的な安全地帯
    まだ余白があるうちは、これ以上押し付けられずに済むという、かろうじての逃げ場。

だから予定が埋まることは、
「もう受け止められない=つながりを失う恐怖」と
「抱えきれない義務を押し付けられる恐怖」の両方を呼び起こしていたのです。

「自分」を生きるために、隠してきたもの

ゴミ箱役を続けるためには、自分の欲求や感情は邪魔になります。

「やりたい」
「嫌だ」

そんな気持ちを出せば、役割を果たせなくなるからです。

私は、自分の大切な気持ちを、
怒られないように
邪魔されないように
壊されないように
そっと隠すようになりました。

自分の予定よりも他人を優先する。
やりたいことは、人目につかないところでこっそり行う。

それが、孤独を感じずに人とつながるための、唯一の方法だったのです。

余白は「自由」のためにある

これは、無力だった子どもの頃に必要だった生存戦略です。

大人になった今、もう同じやり方で生き続ける必要はありません。
ゴミ箱役をしなくても、人と関わることはできます。

リトリーブサイコセラピーで潜在意識に触れていく中で、
私の感覚は少しずつ変わっていきました。

欲求も感情も、もう隠さなくていい。

自分を優先してもいい。
誰かを優先することを選んでもいい。
そのすべてを、自分で決めていいのです。

今、私の手帳の文字は大きくなりました。
余白がなくなっても、あの息苦しさはありません。

余白はもう、他人の感情を入れる場所ではなく、
自分の喜びや、やりたいことを入れるための自由なスペースだからです。

日常の何気ない癖の中に、
あなたが生き延びるために演じてきた役割が、今も隠れているかもしれません。

それは「大きな問題」でなくてもかまいません。
むしろ、こうした小さな違和感こそ、心が最初に出すサインなのです。

もし、理由の分からない息苦しさや、生きづらさを感じているなら、
一度その声を聴きに来てみませんか。

感情と感覚を丁寧に辿りながら、
あなた自身の人生のスケジュールを描いていくお手伝いができればと思います。

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